カテゴリー別アーカイブ: OBの活躍

2011年全国ランキング・トップ10がでました!

2011年全国ランキング・トップ10がでました!
さすが英傑ぞろい!

【短水路】

種 目 順位 氏 名   タイム
 50m バタフライ 浅野 重雄 60-64才 30.63

 25m 平泳ぎ 水谷 博之 55-59才 16.35
 50m 平泳ぎ 34.91
 100m 平泳ぎ 1:17.54

 4×25m
  メドレーリレー
 伊藤 博康
 熊野 識
 浅野 重雄
 水谷 博之
240-279才 1:02.54
 伊藤 博康
 水谷 博之
 浅野 重雄
 村松 理助
1:03.74

 4×25m
  フリーリレー
 浅野 重雄
 熊野 識
 伊藤 博康
 水谷 博之
240-279才 56.55

【長水路】

種 目 順位 氏 名   タイム
 50m 平泳ぎ 都嶋 保 75-79才 45.51

 50m 自由形 浅野 重雄 60-64才 29.19
 50m バタフライ 31.15

 50m 背泳ぎ 寺澤 節男 60-64才 37.96
 100m 背泳ぎ 1:22.34
 200m 背泳ぎ 2:56.88

 50m 平泳ぎ 水谷 博之 55-59才 35.92
 100m 平泳ぎ 1:22.04
 200m 平泳ぎ 3:05.51

 4×50m
  メドレーリレー
 寺澤 節男
 水谷 博之
 伊藤 博康
 加藤 哲宏
240-279才 2:21.69

 4×50m
  フリーリレー
 浅野 重雄
 寺澤 節男
 伊藤 博康
 水谷 博之
240-279才 2:00.58
10  水谷 博之
 伊藤 博康
 都嶋 保
 加藤 哲宏
2:11.79

【女子】

種 目 順位 氏 名   タイム
 50m 平泳ぎ 坂口 結子 30-34才 34.08
 100m 平泳ぎ 1:16.93

とびおマスターズ2013
第18回静岡県SC協 マスターズスイミング大会の報告

ume01.jpg朝一番、まさかのインターをスルー!ume01.jpg

 3月17日 とびおマスターズ2013 第18回静岡県SC協マスターズスイミング大会に出場しました。

古橋廣之進記念浜松市総合水泳場・ToBiO開催されました。

途中高速道路で私が大先輩方々と話に夢中になり、浜松西インターで下りなければいけないところを、

通り過ぎてしまい、浜松インターまで行ってしまい。大変ご迷惑をおかけしました。

しかし、大会にはなんとか無事に間に合いました。

先に到着していた、神谷さん、水谷さんと合流でき、控え場所も設置して、

一番のメドレーリレーに出場される方々はアップへ、行かれました。

今日一番のメドレーリレーは、無事ダントツで優勝!

続けて、25mm 背泳ぎ、25m バタフライ、25m 自由形が終了し、

午前中の時点でチーム総合得点で3位!

その後のfree リレーは、おしくも0.1 秒差で大会新を逃しましたが、

こちらもダントツ優勝!

個人ではほとんどの出場種目が優勝または2位・3位の入賞でした。

午後からも、100m 個人メドレー1位、100m 平泳ぎ1位、

100m バタフライ 2人とも1位、

50mバタフライ1位と終了した時点で、

最終結果が気になるところですが、名古屋方面組は、

遠方になるのでここで帰宅となりました。

ume01.jpgぼく以外にも餃子星人が?

帰り道、浜松駅まで水谷さんをお送りするついでに、

せっかくなのでと、

浜松の駅前で餃子を4人で堪能しました。

水谷さんが地元の人に尋ね、近くに有名店があるということで、

まだ開店時間まで少し時間がありましたが、待つことに。

40分ほど待ったかいがあり、美味しい餃子を頂きました。

これも地方大会に来たときの楽しみの一つですね。

帰り道は大渋滞!ume01.jpg

帰りの高速道路は、予想通りの大渋滞。

名古屋に着くのに3時間30分ほどかかりましたが、

無事に帰宅できました。

色々ハプニングはありましたが、素晴らしい先輩方、

眩しい後輩で本当に大会を楽しめました。

ありがとうございました。            報告者:山口哲矢

130323

中日新聞に、高校27回 浅野満氏の記事が掲載されました。


愛知水泳協会会長の浅野満さん(七十九歳)=天白区高島は、1952年のヘルシンキ五輪の競泳代表だった。
大会前に調子を落として出場を逃したが「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた故古橋広之進さんをサポート。
傘寿を控えた今も、子どもたちに水泳を教える。戦争を乗り越えて水泳にかけた青春を振り返り「頑張れば五輪に行けるかも」と語りかける。
ロンドン五輪で北島康介選手ら日本競泳陣が、戦後最多の11個のメダルの獲得を決めた六日。
浅野さんは、中区の県体育館プールで愛知水泳協会が毎年夏に開く水泳学校で、小学生を指導していた。
「顔を水につけて」、「息継ぎを覚えれば苦しくない」。初心者の子どもたちへの気配りも忘れない。
中区錦で生まれ、第二次世界大戦中の小学三年で協会が開く水連学校に入ったが、まもなく戦況悪化で休校。
四五年三月の名古屋空襲で、実家周辺は、火の海となった。
防火水槽の脇に身を隠した時、そばにいた人が、焼夷弾の直撃を受けて即死した。
すでに父親は病死し、家業のうどん店を再開するのは難しかった。
七歳上の兄が進学をあきらめて工場に就職し、家計を支えてくれた。
そのおかげで中京商業学校(現中京大中京高校)に入学し、競泳の練習を本格的に開始。
極貧の中、学費や寮費を出してくれる家族の苦労に報いようと、毎日、2?3万メートルを泳いだ。
敗戦国・日本が出場を許されなかった48年のロンドン五輪。
同時期に行われた日本選手権で、古橋さんらが五輪メダリストを上回る記録を連発する姿に酔った。
三年後、ヘルシンキ五輪の代表選考レースの自由形で上位入賞し、
あこがれの古橋さんとチームメートになった。
だが、長時間の飛行機移動による疲労で、
本番直前の練習で実力が発揮できずに補欠に回った。
全盛期を過ぎ、満身創痍だった古橋さんの体にマッサージを続け、400メートル自由形の決勝で
八位に終った直後にプールサイドからタオルを渡した。
私に順位を尋ねた古橋さんは『そうか』とだけ言われた」と記憶をたどる。
それから六十年。早稲田大を卒業後、地元の海運会社やスイミングクラブに勤務。
60歳で定年退職後、協会の水泳学校の指導者となって二十年間で、延べ三万人以上の子ども教えてきた。
四年に一度の五輪の夏は、教え子から「先生、五輪選手だったんですか」と聞かれることも。
「北島君たちが立派な成績を収めてくれて励みになるね。
私も大好きな水の中でもう少し頑張るよ」

2011 JAPAN MASTERS 安城スポーツセンター

 4月29日安城スポーツセンターでジャパンマスターズ短水路大会(愛知会場)が行われました。

当日は晴天に恵まれ、朝早くから、日頃の練習の成果を試すべく、多くのスイマーが訪れました。
我らが中京清泳会の精鋭選手も年齢に関係なく、いつものように、元気に和気あいあいと
大会を1日楽しみました。遠くは横浜から参加された先輩もみえ、大活躍されました。
お孫さんと一緒にみえた大先輩も、金メダルをお孫さんへ持っていかれました。
また何年かぶりに、マスターズへ出場された先輩も、すばらしい泳ぎで、難なく金メダル。
『黄金は何年たっても錆びない!』と改めて証明してくださいました。